風景や人のぬくもりを紡ぎ直す vol.1

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移住者が見出した“財産”を糧に
輝きを放ち始めたふるさとの姿

福知山市三和町川合(ふくちやましみわちょうかわい)地域

戦国時代の名将・明智光秀ゆかりの城下町として、また北近畿の交通の要衝として古くから栄えてきた京都府福知山市。平成18年に、三和町(みわちょう)・夜久野町(やくのちょう)・大江町の3町と合併したことにより、特産品や観光スポットも増え、市の魅力は一段とアップしています。
その一方で、農山村地域を中心とした過疎高齢化、それにともなう農林業の衰退等の課題に直面しています。そうした中、移住者という「ひと」の力を糧にして、地域の活力を取り戻そうと頑張っている地域があります。立役者とも言うべき人物を訪ねて、その地域へ向かいました。

癒しとやり甲斐を求めて帰郷

訪れた先は、福知山市南東部の山あいにある三和町川合地域。山の裾野に田畑が広がり、昔懐かしいかやぶき屋根の家が所々に見受けられるのどかな農村地域です。その中心部に当たる上川合(かみがわい)の府道59号線沿いにある「川合ふれあいセンター」で、「川合地域環境保全活動協議会」代表の土佐祐司さんに出会いました。

「ここはもともとJAの支店だったんですけど、閉鎖後に僕らが運営している農事組合法人で買い取って、今は法人の事務所兼地域の交流施設として活用しています。公民館事務所や移住の相談窓口も兼ねていて、地域の案内や地元住民への橋渡しなども行っているんですよ」

「地域のことなら何でもおまかせあれ」と語る土佐さんですが、実は17年前に川合地域へUターンしたのだそう。まずは土佐さんのUターンの経緯から尋ねました。

「以前は京都市内にあるアパレル商社で営業マンをしていました。輸入品を扱う部署にいたので海外出張も多くて、心身ともにかなりハードでしたね。一言でいうと仕事や都会に疲れたってことなんでしょうけど、自分が一番安らげる場所で、自分で作ったものを消費者に届けられる仕事がしたいなぁと真剣に考えるようになりました。そして、46歳の時に早期退職をして、実家のある川合で農業をやろうと決めたんです。妻には事後報告だったので、当然ながらすぐには理解してもらえず(笑)。でも、娘たちが嫁いだこともあり、3年後にこちらに来てくれて、今では僕の母と3人で暮らしています」

危機に瀕した地域のため「徹底的にやる」

帰農後の約1年間は、予め計画していた通り、実家の田畑で米や野菜を作り、それを京都市内の友人らに提供しながら、こぢんまりと暮らしていたという土佐さん。それが今では、地域団体や農業生産法人の要職を担うリーダー的な存在です。なぜそうなったのか。そちらの経緯もうかがいました。

「帰ってきて間もない頃に、川合地域の過疎高齢化がかなり進んでいて、このままでは地域の暮らしや農業がいずれ守れなくなるから、今のうちにみんなで何とかしようという話が、地域の営農組織の中で持ち上がったんです。しかしそこに関わると、自分のやりたいことができなくなりそうで、正直少し迷いましたが、地域があってこその自分と思い直して、取り組みに参加することにしました」

土佐さんら地元有志が最優先課題に据えたのは、「農地の保全」でした。高齢化や後継者不足の影響で耕作放棄地が増え、地域の荒廃を助長している状況を鑑み、地域ぐるみで農地の管理ができる「集落営農組織の法人化」を目指すことに。土佐さんは地元農家の説得にあたったほか、設立後の収支計画や資金管理の仕組みづくりまで多方面にわたって活躍。「やると決めたら徹底的にやる主義」という土佐さんの性分がここぞとばかりに発揮されたのです。

そうして平成21年1月に「農事組合法人かわい」が誕生しました。当初6ha程度だった耕作面積は、8年目を迎えた現在、地域内の農地の3分の1を占める20haにまで拡大しているそうです。農地の保全に関しては一定の成果を上げられましたが、土佐さんの中ではそれで任務完了とまではいかなかったようです。

「平成27年の3月をもって、地元の川合小学校が廃校になったんですけど、前年の秋に校長先生から『最後になる小学校の発表会に地域の人をたくさん呼びたい。手助けしてもらえないか』と頼まれまして、こちらから公民館や自治会、営農組織などにお願いして飲食の屋台を出してもらったところ、川合にこんなに人がおったんや!というくらいたくさんの人で賑わったんです。校長先生もすごく喜んでくれたし、僕ももちろんうれしかった。ただ、これっきりで終わったら、集う場所がなくなり、人の心と心のつながりが希薄になってしまうんじゃないかという危機感が芽生えてきて、年に1度でいいから、みんなが集まれる場所をつくりたいと思ったんです」

土佐さんは早速、自身が代表を務める川合地域環境保全活動協議会の中でプロジェクトチームを立ち上げ、活性化イベント開催に向けて計画を推進。70名以上の応援スタッフも加わって、平成27年以降、2年連続で「川合元気まつり」を開催することができました。土佐さんはその成果について次のように語ります。

「いろいろと反省点はあるものの、回を重ねるごとに良くなっている印象があります。特に2回目に企画した『笑顔の写真館』は好評でした。来場者のみなさんの笑顔を写真に撮って、プリントとデータを差し上げるサービスなんですが、おばあちゃんたちが笑いながら『これなら遺影に使ってもらってええなぁ』『ええ土産ができたわぁ』と喜んでくれて、正直涙が出るほどうれしかったです。川合のために少しはお役に立てたのかなぁと思っています」

今後の開催については「実行委員会のみんながやりたいと言ってくれる限りは続けたい。世話方のみんなが楽しくないイベントはやってはいけない」と土佐さん。すでに3回目(平成29年10月下旬開催予定)に向けてのミーティングが行われているそうです。

「風景や人のぬくもりを紡ぎ直したい」

農地の保全やふれあいの場づくりのほか、最近では空き家対策や放置竹林の解消、子どもたちに農山村の暮らしを体験し、学習してもらう教育民泊の基盤づくりなども手がけているという土佐さん。いかに行動力があるとはいえ、その活躍ぶりは目を見張るものがあります。一体、何が土佐さんを突き動かしているのでしょうか。

「ここが僕の故郷だから、頑張らなしゃーないという感じ(笑)。地元の人は、『なんでこんなところに帰ってきたん?』と聞くけれど、僕にとっては『こんなところ』じゃない。心を癒してくれる風景や、ほんわかした人の気質であったり、この地域にはたくさんの財産があると思うんです。そのことに地元の人が気付いていないことが多い。だから、自分が先頭に立って後世に伝えていかなければ、という思いがあります」

故に土佐さんは、自分と同じように川合地域の風景や人に魅力を感じ、第2の故郷のつもりで暮らそうとする移住者に対して「ものすごく敬意を表するし、大切にしたい」と言います。

「現在移住されている方々は老若男女さまざまですが、皆さん何かしらのスキルを持っていて、それを活かして地域との関係性を深めています。例えば、京都市内からIターンで移住した荒川久美子さんは、ふれあいセンター常駐の移住相談員でもありますが、実は風呂敷アートの達人で、催しなどを通じて人の輪をつくり出しています。最近感じているのは、そういう人たちに引っ張られる形で、地域全体が活気づいてきたなということ。いい意味で刺激になっているんでしょうね」

土佐さんはそんな頼もしい移住者の存在も意識して、「これから地域をどうしていきたいか」というビジョンも語ってくれました。

「ここに住んでいる人の心が荒まないように、ここに来てよかった、ここで一生を終えられて幸せやったと思えるような場所にしたいですね。新しく何かを生み出すというより、今ある風景や人の温もりが失われないように紡ぎ直すことが大事だと思っています。僕が取り組んできたこと、これから取り組もうとしていることは、その下積みみたいなもの。次の世代が苦労しなくて済む、礎くらいは築いておきたいと思っています」

 

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