風景や人のぬくもりを紡ぎ直す vol.2

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移住者が見出した“財産”を糧に
輝きを放ち始めたふるさとの姿

福知山市三和町川合(ふくちやましみわちょうかわい)地域

 

1軒の古民家に導かれ川合地域へ

川合地域で農家民宿「ふるま家(や)」を営む沢田さやかさんは、土佐さんが一目置いている移住者の一人。京都府京田辺市出身で、以前は横浜の外資系出版社に勤めていました。「40歳までに起業したい」との思いから、平成19年に脱サラしたものの、しばらくは「ノープラン」だったそうです。

「きっかけを得たのは、退職後7ヶ月ほど海外を回って帰国した後。たまたまアメリカ人や日本人の友人を連れて、アレックス・カー氏が改修した徳島県東祖谷(ひがしいや)のかやぶきの古民家『篪庵(ちいおり)』へ行く機会があったんです。みんなでご飯を作って、囲炉裏を囲みながら食べて、板張りの間で雑魚寝をするという素朴な過ごし方でしたが、日本人を含め、こんな経験したことないね!ってすごく喜んでくれて、私にできることってこういうことかなと、その時ひらめきました」

「京都ブランド」をアピールできる京都府内で、自由に改修ができるかやぶき屋根の古民家を重点的に探したという沢田さん。不動産業者の紹介を受け、川合地域の古民家を訪れた瞬間、「ここにしよう」とすぐに心が決まったそうです。

「家のたたずまいもさることながら、周りの景観もすごく良くて、ひと目で気に入りましたね。売りに出されて間もない時にタイミングよく出合えて、運命的なものを感じました」

民宿業を通じて、地域に認められる存在に

それから間もなく横浜から移住し、およそ2年がかりで改修を終えた後、平成24年4月にふるま家をオープン。築150年以上の古民家は、里山の風景や季節の素材を活かした手料理が味わえる農家民宿に生まれ変わりました。地元の反応はどうだったのでしょうか。

「基本的に皆さんシャイなので、直接何かを言われたりはしませんでしたけど、初めは心配されていたと思いますよ。独身女性が一人で民宿なんて、ほんまに続くんかいなって(笑)。でも、自力で改修している様子をご覧になったり、ご挨拶がてらお話ししたりする中で、本気度は伝わったように思います」

得意の英語で情報発信ができたこともあって、宿には欧米をはじめとする外国からの旅行者が多数訪れるように。それまで外国人を目にする機会がほとんどなかった川合地域の人々は「おっかなびっくり」だったようですが、今では「外国人=ふるま家のお客さん」という認識で、気軽に手を振ったり、挨拶を交わしたりと異文化交流を楽しむ様子が見受けられるそうです。

「フレンドリーに接してくださって、私もうれしいですし、お客さんたちもすごく喜んでいます。旅の思い出として強く刻まれるのは、そうした人との触れ合いだと思うので、地域のお祭りなどがあればそこへお客さんを案内したりして、地域との交流が深まるように心がけています」

沢田さんは開業の翌年、地域住民と旅行者、また住民同士の交流が深まるようにと、移住者仲間らとともに新たなイベントを立ち上げました。毎年5月、田植えシーズン後の日曜日に近くの史跡(経ヶ端(きょうがはな)城跡)で開催する「野点(のだて)の会」です。
その名の通り野外で抹茶をたててふるまうほか、楽器の演奏やアート作品の展示なども行われ、ふるま家は臨時のカフェとして開放されるそう。「こぢんまりとした会ですが、地元の人が草餅を販売するようになったりして、年々賑やかになっています」と、沢田さんはイベントの成長を実感しています。

さらに、ふるま家では月1回のペースで「英語カフェ」と題した、未就学児とお母さん向けの英語教室も開催中。「英語教室といっても、遊びの延長みたいなもので、お子さんが英語に興味を持つきっかけになればと思って始めました」と、異文化交流の種まき作業にも余念がありません。

これからの暮らしと移住について

民宿業の傍らパワフルに活動する沢田さんですが、「これからは仕事を少しセーブして、足元の暮らしを大事にしたい」という思いも。ふるま家で知り合って結婚したフランス人のご主人、ペリエ・ニコラさんとの間に、昨年長男のテオ君が誕生し、その思いを強くしたそうです。

「家族との時間を確保するために、今シーズンから営業日を短縮する方向で検討しています。現金収入が減っても大丈夫なように、野菜作りやジビエの活用にもっと力を入れて、自給率を高めていくことが今後の目標です」

宿泊だけで年間のべ500人以上が訪れるふるま家。沢田さんが移住経験者と知って、そのノウハウを聞きに来る人も少なくありません。特に田舎暮らしを希望する人に対しては、こんなアドバイスしているそうです。

「田舎暮らしで一番大切なのは、やっぱりご近所付き合いですね。日頃のお付き合いをしっかりできるかどうかで、暮らしやすさも変わってくる。もしそれが煩わしいなら、田舎で暮らすのは大変だと思います、と言っていますね。私自身は、人とのつながりを大切にする田舎のコミュニティがもともと好きでしたから、草刈りやお花見といった地域行事への参加も苦にならなかったし、むしろ積極的に参加するようにしてきました。田舎の方はシャイなところがあるので、初めは溶け込みづらいと感じるかもしれませんが、自分から動いていけばきっと受け入れてもらえますよ」

終の住処を交流拠点に変えた先駆者

そんな沢田さんのお手本となった移住者の先輩が、ともに「野点の会」を立ち上げた菊田律子さんです。以前、大阪府高槻市で暮らしていた菊田さんは、「年齢的に、これが最後のチャンスだ!」と一念発起し、平成18年、念願の田舎暮らしを始めました。数ある“田舎”の中から川合地域を選んだ理由とは何だったのでしょう。

「高槻市の家族とある程度コンタクトが取りやすい地域であることを第一条件に探し始めて、2時間あれば十分に行き来ができる三和町が浮上しました。町内の空き家をいくつか見せてもらって、20年くらい空き家として放置されていたこの古民家と出合いました。床も抜けていて、住むのは難しいかもしれないと言われたんですが、何とか元に戻るとわかって、これも何かの縁かなと思って決めました」

菊田さんはその後、住まいとした古民家をお抹茶や里山料理を提供する「緑水庵(りょくすいあん)」として開放するように。それは、移住後に沸き起こった「地域をもっとオープンにしたい」という思いからでした。

「私が住んでいる台頭(だいと)集落は、川合地域の中でも少し奥まったところにあり、もともと外部との接触が少ない所でした。そこへ私が来たものですから、皆さん興味津々といった感じで近寄って来てくださるんだけど、なかなか飛び込めずにいる様子だったので、趣味の茶道や料理を活かして、皆さんが気軽に入れるオープンな場所にしようと思ったんです」

地域の温度差、解消するのは自分次第

喫茶や食事を介して距離が縮まるにつれて、地域の変化を感じ取ったという菊田さん。「冬場、私が雪かきで困っていたら、何も言わずに除雪機でさーっと雪をかいてくださったりして、向こうから手を差し伸べてくれるようになったんですよ」とうれしそうに語ります。

「初めのうちは、地域の中で温度差もありました。『こんな田舎によく来てくれた』とおっしゃる方もいれば、『何をしに来たの?』という感じの方もいて。でも、温度差はあって当たり前。地域に溶け込みたい気持ちを何かの形で発信し続ければ、徐々に解消されていくものです。田舎暮らしが成功するか否かは、自分次第だと思います」

また、地域との関係づくりとは別に、菊田さんが好んで作り始めた里山料理は、地域の人々に思わぬ影響を与えることとなりました。

「ノビルとかユキノシタとか、今では地元の人さえ食べないような野草を使うので、びっくりされましたね。『そんなもんを食べるんか』と。ところが、それをありがたがる私や遠方のお客さんの様子を見ているうちに、『ここはええとこなんや』と気付く人も出てきました。ずっと中にいると見えないものも、私のような人間が入るだけで、見えてくることがあるんですね」

沢田さんはふるま家、菊田さんは緑水庵という開かれた場をそれぞれつくり、地域との距離感を縮めていきました。「何か事業を始めないと、溶け込むのは難しいの?」と思われる人もいるかもしれませんが、大事なのはそこではありません。土佐さんいわく、「移住した先で何がしたいか、何ができるかを自分で考え、行動できるかどうかが肝」とのこと。つまり、移住前に培ってきた人生経験をリセットするのではなく、活かす道を考えればよいのです。一見すると、田舎暮らしと接点がなさそうな趣味やスキルも、ここで発揮すれば思いも寄らぬ化学反応を起こす可能性もあります。移住コンシェルジュへご相談の際は、実はこんな特技がありまして……といったお話も聞かせてくださいね。

 

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