田舎と都会のいいとこ取り vol.2

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府内唯一の村で叶える
田舎と都会のいいとこ取り

南山城村押原(みなみやましろむらおしはら)地域

「田舎暮らし」達成までの紆余曲折

押元さんたちが今日のように移住促進に前向きになれたのは、押原地域の移住者第1号となった小林さんの存在があってこそ。8年前の田舎暮らしプログラムのそば体験が移住のきっかけと聞きましたが、それ以前はどこでどのような暮らしをし、南山城村へと導かれていったのでしょうか。小林さんのもとを訪ね、移住の経緯を詳しくうかがいました。

「以前は、京都府久御山町(くみやまちょう)で自動車部品や電子部品を作る町工場を経営していました。経営者と言ったら聞こえはいいけど、人・時間・金に追われるばっかりで、季節も曜日も、朝か夜かもわからんような毎日です。そんな生活に嫌気が差して、工場は息子に譲って、早くここから抜け出そうって、50歳くらいから夫婦で移住について考え始めたんです」

その後、小林さん夫婦は休日を利用して、全国各地へ移住先探しの旅を開始。目指したのは、「田舎暮らしを満喫できる場所」でした。工場に閉じこもってばかりいた小林さんにとって、大らかな自然と一体化した田舎はまさしく理想郷だったのです。しかし、そのイメージがあまりにも漠然としていたため、初めは選択を誤りかけたこともあったそう。

「一度、渓流沿いのすごく趣のある民家を訪ねたことがあって、夏は最高やなぁ、ええなぁと思って決めようとしたら、妻が言うんです。『ここはちょっと違うんじゃないの?』って。庭先で鶏がうろうろしてたり、近くでおばあさんが畑仕事をしてたりする生活感のある田舎を選ぶと思っていたと言われて、はっとしましたね。僕はその時まで郊外にさえ行けば田舎やと思ってたんですけど、ほんまの田舎と別荘地はまた別なんやということに気付かされました」

そんな気付きを得たのち、岡山県内で理想的な物件を見つけた小林さん。契約直前まで漕ぎ着けたものの、今度は息子さんから「確かにええとこやけど、ここは遠すぎる。もうちょっと近くにして欲しい」と待ったをかけられ、結局取りやめに。こうして移住範囲はぐっと狭まり、息子さん家族が暮らす久御山から車で1時間圏内に定まりました。

「田舎暮らしがしたいといっても、仙人暮らしはできません。車で少し走ったら何でもあって、子どもや孫にも会えて、帰ってきたら田舎っていうのが自分たちに合ってるのかなぁと思ったんです。言ってみれば『なんちゃって田舎暮らし』ですね」

そして、小林さんはたまたま新聞で見かけた、南山城村の田舎暮らし体験プログラムに興味を持ち、押原地域のそば体験へ。体験を通じて、のどかな村の雰囲気や村人の親しみやすさ、都市部との距離感などを確かめ、ちょうどよい住まいも見つかったことから、久御山の自宅や工場を息子さんへ譲り渡し、平成21年、57歳にしてついに移住を果たしました。

地元民に教わった、真の豊かな暮らし

移住から8年、「毎日が楽しくて、あっという間でした」と、晴れ晴れとした表情で話す小林さん。息子さんたちからも「働いていた頃とは顔つきが全然違う」と言われるそうです。田舎暮らしの何が小林さんを変えたのでしょうか。

「やっぱり気楽だからでしょうね。ステテコ姿で散歩してても何も言われへんし、むしろそれが普通やったりして、変に見栄を張らなくてもいいのがすごく楽です。人と比べ合ったり、勝ち負けを競ったりする必要もなくなって、人間が生きていく上で必要なものなんて、ほんのわずかなんやなぁと気付かされました」

現在も電子コイルを作る仕事を細々と続けている小林さんですが、「納期さえ守れば昼寝をしようが何をしようが自由。以前のようなつらさはまったくない」と言います。必死に働かなくても、わずかな現金さえあればやっていける。そのことに気付かされた出来事があったそうです。

「去年亡くなるまでお世話になったおじいさんが近所にいましてね。ある時、そのおじいさんが木で何かを一生懸命作ってて、聞いたら斧の持ち手が壊れたから直していると。それで僕が『そんな面倒なことせんでも、新しいの買ってきたらええのに』と言ったら、『もったいないやん、買わんでも作れるのに』って当然のように言われて、かなり衝撃的でしたね。それまでのお金に頼る生き方を見直すきっかけになりました」

都会育ちの小林さんが驚いた“田舎の常識”はまだまだあります。満点の星空の美しさ、吸い込まれるような夜の暗闇、そこに光をもたらす月の明るさ。村では当たり前の風景も、小林さんにとっては特別です。

「桃太郎の話で、犬と猿と雉をお供に連れて行くでしょ。犬と猿は身近にいそうやけど、雉って現実的じゃないなとずっと思ってました。ところが、いるんですよ、その辺に。童話の世界がほんまにあるんや!って、純粋に感動しましたね。今でも見るとうれしくなるし、そんな暮らしができて幸せやなぁと心底思います」

地域のために「動けるうちは何でもやる」

聞けば聞くほど、うらやましく思える小林さんの充実した暮らしぶり。ですが、「地域住民としての務め」を果たした上で、その暮らしが成り立っているということを忘れてはなりません。地域との関係づくりにおいて、心がけてきたことをうかがいました。

「移住した当初から、地域に溶け込もうという意識は持ち続けていますね。ここで生まれ育った人と同じように墓掃除もするし、お葬式のお手伝いもする。動ける間は何でもやろうと思っています。僕は時間もたっぷりあるので煩わしいとも思わないし、むしろ頼りにしてもらえてありがたいです」

さまざまな地域活動を通じて、多くの地元住民と接してきた小林さんは、人々の性質や地域性が「自分に合っている」とも感じており、それも暮らしやすさの要因であると考えています。

「皆さん全然気取ったところがなくて、オープンな人柄。国道163号線に面していて、外部の人との接触に慣れているせいなのか、排他的な考えもないですね。それぞれ自立した生活を営んでおられるので、特に干渉もされないし、ちょうどいい距離感でお付き合いができます」

総じて、どんな人がこの地域に合っているのか、あるいは、どんな人が向かないのか、小林さんなりのお考えもうかがいました。

「この地域に限ったことではありませんが、基本的に自然が好きじゃないと長続きしないでしょうね。極端な話、ヘビやムカデが出ても動じないくらいでないと(笑)。それから、人付き合いが苦手で、誰とも付き合わずひっそり暮らしたいという人もちょっと厳しいと思います。顔を合わせたら挨拶するのはもちろんのこと、地域の活動にもできるだけ参加して、ちゃんと自分の居場所をつくれる人が向いているように思いますね」

“地元”で見つけた新たな愉しみ

移住に関するアドバイスをいただいたところで、小林さん自身の「これから」についても聞いてみることに。移住を境に、長年趣味としてきたゴルフへの興味は薄れてしまったそうですが、今後、やってみたいことはあるのでしょうか。

「村をあちこち訪ね歩いていると、童謡の中で描かれているような昔懐かしい風景によく出くわすんですよ。その度に絵でも描けたらなぁと思うんですけど、ちょっと自信がないので、せめて写真に撮って、童謡と関連づけたタイトルでも付けられたらなぁと考えています」

ちなみに、被写体にしたいスポットNo.1は、「野殿(のどの)地域の六所(ろくしょ)神社」だそう。「本当に神様がいそうな神秘的な雰囲気。久御山に行った帰りに、わざわざ遠回りして立ち寄るくらい大好きです」と言います。

この時、小林さんは「久御山に行った帰りに」とさらりと口にしました。ホームとアウェイの認識をあえて確認してみると、「完全にこっち(押原地域)がホームですよ」ときっぱり。「いつの間にか、そうなっちゃいましたね。久御山に行くと、車の多さやネオンの光で疲れるし、田舎もんになったんでしょうねぇ」とうれしそうに話す小林さんなのでした。

小林さんが「ストレスフリー」な毎日を過ごせているのは、仕事の第一線を退いた身であることも大きな要因の一つなのでしょう。しかし、今現在、働き盛りでストレスを抱えている方こそ、この村で田舎暮らしを満喫し、リフレッシュをするという選択肢もあるのではないでしょうか。

退職した人も、そうでない人も、「村の自然や人と仲良くなりたい」という思いがあれば、きっと新しい暮らしを切り開けるはずです。地域を知る絶好の機会となっているそば体験の開催時期や空き家の状況など、気になることがあれば京都移住コンシェルジュまでお気軽にお問い合わせください。

 

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